やゆよ

ああたまが、しゃべりますので

3.30

引っ越しをした。家を変えた。理由を説明するのがとても面倒くさい。いい家だった。前住んでいた家。広くて大学もコンビニも薬局も近くて家賃も安くて、いい家だった。いい家だったことを知る人、知らない人。みんななんで引っ越しをしたのか僕に聞いてきた。説明するのが面倒くさいから詳しく書いたりしないけど、なんで引っ越ししたのか聞かれるたびに毎回違う嘘を言おうかと思う。寮に住んでいる設定にして寮から出たかったからって言ったり。ストーカー被害にあったからとか。それまがいの怖い思いはしたが。まあ僕が悪い。ぼくというのは、字面がやわらかいからであるよ。高校3年生くらいのときにわたしという文字の表示はとても堅苦しく感じたので、ぼくというのはとても柔らかく、自由に感じたため。ぼくは僕を使っている。てか何でもいいんだよ。うるせえよ。破滅衝動というのは、みんああることですよね?縫い目を解いて、糸切狭で切って、布はゆがんで、最悪だと思った。小さい時も、おおきくなっても、変わらずやりきれなくなって、そういうことになってしまうことが、あるでしょう。愛について。愛されなくても普通だと思っている。期待して裏切られることが嫌であるからか、知らないが、愛されなくても仕方がないと思っている。でも、愛について、愛されるということについて、考えいるというい事実が、誰よりも愛されるということに執着している結果だと、思ってしまう。愛されなくてもいいと、愛について考えていることが、本当は誰よりも愛に執着している結果なのだと。自転車を漕ぎながら、何かを愛するということは、何かからの愛を感じるということよりも、容易であると考えていた。特定の誰かからの愛を感じることの方が、特定の誰かを愛することよりも、ずっと難しい。自分勝手だと思った。愛する、一方的な愛をぶつけることは自分だけで完結できるが、誰かからの愛を感じることは、相手を見つめ、相手から見た自分も見つめないといけないことになるから、後者の方が難しいのは当然なのである。愛がどのように定義されているかは考えないことにする。無駄だから。辞書で引いたところで、ところで、だからである。お前たちの好きなように、ことばを使えばいいと思っているからである。一度もこの文章を読み返さないように、推敲を一切行わずに書いている。書いているという次元ではない。手を、勝手に動かしている。新しい家に住み始めて2日目に、アリがたくさん出た。どうやら窓から入ってきているらしく、アリがたくさん、アリが、たくさん、イル。机とか、そう。20匹くらい殺した。最初の方は手で捕まえて指でつぶしたりしていたが、途中からできなくなった。なんでだと思いますか?ティッシュでつぶして、殺した。小さいので、ちゃんとつぶさないと、隙間にうまく逃れられてしまうと、またうごうごうごうごうご、ティッシュから出てきて、机の上を、みょろみょろみょろ。なのである。たくさんころしたので、病気になりそうだタ。僕には、どうやら殺人鬼の血が通っていないように思えて、安心しました。病気になりそうなのは、悪いことですが。酒が抜けて、冷静になってきました。先ほど縫ったものを解いてしまったので、それを縫い直してから、眠ろうと思います。文章が生まれるのは、最悪な時です。腕に、手の甲に、縫い針を指してちくちくちくちく、縫い目をつくろうと思いましたが、痛くはありませんでしたが、無理でした。手首にピアスを開けた時と、縫い針を腕にさしまくり、ちくちくちく、縫うとき、どちらが痛いのでしょうね。腕にピアスを開けたとき、ピアスを開けるのがそもそも初めてでしたので、あたまがくらくらしましたが、もう覚えていないのです。でも、ピアス、こちら耐えられる痛みですね。もっと痛いことが、この世には星の数ほど存在します。それを知らずに生きることができるのは、幸せですね。